迎え火を焚きに
2019-08-13



僕はここで、子供時代の夏を過ごした。
小児喘息に海風が良いと信じた両親の方針で、
夏休みの殆どをこの地で暮らしたから。

海での遊び方も、畑での野菜作りもここで教わった。
釣りをし、ディンギーに乗り、岩場で潜り、畑でスイカを食らい、星を見た。
大家族で、周囲にも同じ年頃の従兄弟が何人もいた。
毎日が楽しくて、東京に帰る日は泣いたっけ。

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92歳の伯母がちらし寿司を作って待っていてくれた。
あの大家族だった家には、この伯母と数匹の猫が居るだけだ。
話すのは昔の事ばかり。
でも、両親共に居なくなった今、僕の子供時代を知る数少ない人たち。

89歳の伯母と87歳の伯父を訪ねる。
皆、驚くほどに歳をとった。
当たり前だ。
僕がここで夏を過ごしていた頃からもう40年以上も経つんだから。

土地は有るのだから、家を建てて住めばいいと言われる。
畑が好きなら、耕す場所はいくらでも有ると言われる。
それも良いな、など言ってみる。
もちろんそんな事が出来るなんて僕も、向こうだって思ってやしない。
でもいつか。
仕事を止めて隠居したら、ここに暮らしてみたい。
その頃は、僕を知る人はもう誰も居ないだろう。
でもここは、僕にとって今はもう失くしてしまった実家のようなものなんだ。





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