30年前
2016-07-13


東京の日の出は4時35分。
夏至の頃に比べ、昼時間は12分も短くなった。
サルスベリの咲き始めた夜明けの庭を、ミョウガを探しながら犬と歩く。
やがて霧雨。

仕事は特記事項なし。
昼にカップ麺をすすりながら、大学を出たばかりの新人と話す。
やがて今年新しく出来た8月の祝日、山の日の話しになった。
山の日を作る事が先に決まり、それを何日にするかはいくつかの案が有ったらしい。
最後に残ったのは、8月12日。
盆休みで休暇に入っている会社が多く、子供達も夏休み。
だからその辺りに祝日を作っても大きな影響が無いと思われたそうだ。

しかし8月12日と言えばあの、御巣鷹事故の日だ。
それを祝日にする訳にはいかぬと言う事で、11日に替えたのだ。
そんな話しをしたらその若者、御巣鷹とは何ぞ、と言うではないか。
そうか、そんな世代か。

でもいくら産まれる前の出来事でも、日航機墜落事故を知らないのか。
あの年の8月12日、お盆帰省の満席のジャンボ機が群馬の御巣鷹山に墜落したのだ。
30年前に君と同じ年だったMは当時日赤の新人看護師で、その現場に派遣されたんだぜ。
あの夏の暑い日々に、520ものご遺体を清めたんだ。
まあ、僕だって話しに聞くだけで想像も出来ない事だけれど。

僕はその年の夏、ずっと下北沢で過ごしていた。
高校を出た年で浪人と称して、でも勉強もせず家にも殆ど帰らなかった。
地元に近い吉祥寺と似た雰囲気の下北沢が気に入って、毎日遊び暮らしていた。
知り合ったばかりの女性と一緒に居る事が、何より大切だと勘違いしていたんだ。
お金が無くて、たまに食べるカツ丼がご馳走だった。
それだって彼女の奢りだ。

その、年上の女性から聞く返還前の沖縄の話が好きだった。
セント硬貨を握って駄菓子屋に行ったと話してくれた。
車が右側を走っていたとか、親が本土に渡るのにパスポートを申請したとか。
その年の秋に彼女は学校を辞めて那覇に帰ってしまった。
でも、バイクの事故で入院中だった僕は見送りにも行けなかったんだ。
当時は今と違いすぐに退院させずに長期入院が普通だった。
10月の事故で入院して、退院したのが翌年5月だぜ。

そんな昔話をする昼休み。
こうして思えば30年なんて一瞬の光陰だ。
でもその間にも、なんだかんだと僕だって足掻いてきたのだ。


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